日本美術刀剣保存協会和歌山県支部

楽久我喜帖

日本美術刀剣保存協会|和歌山|紀州|

楽久我喜帖

楽久我喜帖

一期一会

< 林 尚男 >

私達が日頃慣れ親しんでいる言葉に、「一期一会」というのがあります。
恐らく「茶の湯」に深い関わりがあり、古くからの禅語の一つ位だろうと最近まで思い込んでいたのですが、改めてその発祥を調べてみますと、宗二という千利休の高弟が桃山期に著した『山上宗二記』の「茶湯者覚悟十体」の中で【道具開キ、亦ハロ切ハ云フニ及バズ、常ノ茶湯ナリトモ、路地ヘ入ルヨリ出ヅルマデ、一期ニ一度ノ会ノヤウニ、亭主ヲ敬ヒ畏ルベシ】と記されており、どうやらこの記述が「一期一会」の起源のようです
数ある四文字熟語の中でも特に味わい深く、『宗二記』では茶の湯における亭主の立場は絶対的なものであるとし、客たる者の亭主に対する心構えを切々と説いております。
また、一説には「人と人」「人と物」の”出会い”や”縁”の大切さを説いた言葉であるとも云われておりますが、何れにせよ我々刀剣趣味の世界においても何処か通じるものがあるように思われてなりません。
例えば、鑑賞刀を見せたり教えたりする側を亭主、反対に見せて貰ったり教えられたりする側を客と置き換えた場合、亭主の一言一句と鑑賞刀に全神経を傾けてこそ、知識や鑑賞力が蓄積されていくのではないでしょうか。
特に、東京より講師を招聘したような定例研究会の場で、仲間同志の雑談に耽る余り、講師の話を聞き洩らしたり、折角の鑑賞刀(名刀)を素見しているのではないか・・・と考えさせられるような光景を見ることが儘あります。
こうした機会こそ絶好の「一期一会」、全く勿体ない話です。
私達は好むと好まざるとに拘わらず、人や物との出会いを繰り返し日常生活を送っていますが、折角の佳き出会いがあっても仲々縁というところ迄は辿り着き難いものです。
もし、出会いと縁に接点があるとすれば、「人に対しては好意・物に対しては好奇心」といった各人の感情的要素が大きく起因するのではないでしょうか。
さて、私と刀との出会いを敢えて思い起こしてみますと、物(刀)を見ての好奇心よりも人に対しての好奇心から始まったように思います。
私の学生時代、東京で大変お世話になっていた方が、慶応大学相撲部で同輩だったという方と二人で連れ立って和歌山へ遊びに来られた事があります。
丁度私も夏季休暇で帰和中だった事もあって、お二人の相手をさせて頂いた訳ですが、改めて紹介された方のお名前と職業を聞いた時には何とも言えない不思議な気がしたのを今でもハッキリと覚えています。
お名前は本阿弥光博、職業は刀剣鑑定士とのことでしたが、随分太った方で、その容姿から如何にも柔和で温厚そうなお人柄が滲み出ておられました。
「本阿弥」姓にも何か歴史めいた様なものを感じましたが、今の時代に刀剣の鑑定士といった類の職業が存在すること自体驚きでしたし、良い意味でその出会いが有ったればこそ刀剣に興味を持つようになったのかも知れません。
参考に記しますと、今でこそ我が郷土の誇る「南紀重国」は、新刀第一の名工である事は万人の認めるところですが、それ迄は新刀中の最上作の一人位にしか評価されていなかった重国を『新刀の第一』とハッキリ自著の中で紹介したのが本阿弥光博先生であり、地元愛刀家にとっては恩人のような方でした。
こうした事が一つの切っ掛けとなり、刀剣趣味に填っていく訳ですが、最初の頃は名刀とは程遠い駄刀ばかりをせっせと蒐集、六~七年も経つ頃には大小併せて五〇振り程度は集まっていたでしょうか。
当時は特に師と仰ぐ人も無く、今から思えば同好の士(同じ孔の狢?)と二流・三流刀工の刀を見せ合っては自慢し、判った様な判らぬ様な話を繰り返ししていた時期でした。
暫くして、刀装具にも興味を持ち始める訳ですが、特定の師の無い専門書頼りの独学では、限界があることを痛いほど刀剣で身をもって学んでいましたし、特に刀装具の名品や佳品の殆どは東京に集中していたということもあり、思い切って東京に目を向けるよう心がけるようになっていきました。
幸い当時、東京の数ある刀剣商の中でも一番有名な「刀剣○田」に入社間もないI氏がおられ、何故か二人は意気投合、その後は一般客には縁遠いような数々の名品をこっそり拝見させて頂いては目を肥やし、夜は新宿辺りのバーで刀剣や刀装具談義をしてしっかりと耳の方も肥やさせて頂いたものです。
I氏は、その後「○○堂」という刀剣商に移られましたが、何故か客の立場であった客の私もそれ迄馴染んだ「刀剣○田」を離れ、特に誘われるまでもなく(I氏のお人柄に惚れていたのか否かは定かでありませんが・・・)、気付けば又々「○○堂」の常連となっていました。
これも一期一会、恐らく生涯の友人として今後も良き関係が続くに違いありません。
今まで、多くの先輩や先生方にご指導して頂いて来ましたが、特に刀装具界を代表する若山泡沫・笹野大行・福士繁雄という三人のそうそうたる先生方とお近づきになれた事が、私の趣味人としての大きな収穫となっています。
先ず若山先生ですが、我々若僧の戯れ言にも真っ正面に耳を傾けてくれるような寛大な方で、取り分け文通等を通じての金工研究に関する質問や意見交換ではこまめに手紙の遣り取りをさせていただきましたし、また、酒席においては豪快かつ非常に愉快な方でした。
又、笹野先生は皆様もよくご存知の通り、透し鐔の第一人者として有名な方で、田辺市のご出身ということもあり、和歌山へ来られる機会がある度によく二人で鐔談義を肴に酒を酌み交わしたものです。
この若山・笹野両先生が逝かれて、もう随分久しくなりますが、今でも当時の手紙などが出てきますと、懐かしく読み返したりすることがあります。
福士先生は、刀装金工研究家の最高峰として現在もご活躍、『刀剣美術』誌でも毎号「刀装・刀装具初学教室」を執筆されており、多くの研究書も出版されております。
先生は、私の事実上の師匠で、若干の東北訛りに聞き辛さは有りますが、大変教え上手で、刀装具のイロハから教わりました。
特に、上京するたびに厚かましくも東小金井のご自宅に、数え切れない程お邪魔し、毎回夕食迄ご馳走になった上に、刀装具の逸品を見せて戴き、鑑賞や鑑定のポイントを作品個々に懇切丁寧に夜中迄指導して頂いたことも数多くあります。
もし、こうした方々との”出会い”や”縁”が無かったら・・・と考える時、全く違った人生を歩んでいるでいるであろう自分を想像することすら出来ません。
さて、これまで私が出会った人についてご紹介してきましたが、物との出会いについても少しご紹介させて頂きます。
末尾に掲載の鐔は安土・桃山時代から江戸初期にかけて、尾張や紀州で活躍した初代川口法安の名作を写した新作鐔ですが、本歌は東京国立博物館等の所蔵品にて到底私達一般人は直接手に取って観るというような事が出来ません。
しかし、数寄者としての本能と云いましょうか、「観れない物ほど観てみたい、触れない物ほど触りたい」と思うのが人情で、せめて写し物でも手許に置きたいという一心で、今から二昔以上前に福士先生を介して成木一彦氏に制作を依頼したものです。
成木氏は岐阜県在住の鐔工で、(財)日・刀・保主催の新作名刀展の彫金の部で、「会長賞」を始め多くの受賞暦があり、工銘を一成と名乗っております。
本鐔は、鉄の強さや作法等細部を観察すれば、到底濃重な本歌には及びませんが、二十数年も経ちますと段々錆びも落ち着き、今ではそれらしい”顔”になっておりますし、思えばこの二点の鐔も色々な方との”出会い”と”縁”の結晶、愛鐔の一として大切に保存していきたいと考えています。
今後も出来るだけ多くの”佳き出会い”を楽しみたいものです。

<   ・ 一覧へ戻る  >